京焼・清水焼のある風景 – 01

パリのシニアカップルが愛する穏やかで上質な時間

オディール・モラン、パスカル・ルブュッフェ

パリ中心から西へ約6キロ、16区と17区に隣接する小さな町ヌイイ。第一次世界大戦後に連合国側とブルガリアとの講和条約「ヌイイ条約」が結ばれたことでも知られるこの町は、現在パリ屈指の高級住宅街だ。街路樹が植えられ歩道が広く取られ、道沿いにバルコニー付きのアパルトマンが立ち並ぶ。厳密に言えば、ヌイイはパリ市と別の市だが、その立地やいわゆる“バンリュー”のイメージとは異なる閑静な環境から、感覚的にパリの一部とみなされることが多い。
そんなヌイイに暮らす、かつて建築会社のエンジニアだったパスカルと飛行機の客室乗務員だったオディールの二人は、誰の目から見てもお似合いの、そして幸せに満ちた老後を送るカップルだ。彼らはスープも冷めないほどの距離のアパルトマンにそれぞれ別々に住み、互いに家を行き来しながら、月の半分はノルマンディーの別荘で一緒に暮らしている。共通の趣味はオペラ、そして旅をすること。
彼らの暮らしにそっと溶けこむようにして、京焼・清水焼はある。そして毎日にささやかな豊かさと彩りを添えている。



日常にとけこむ心地よさ
オディールのアパルトマンは、広い芝生が敷かれた6階建ての最上階。広さこそそれほどではないが、日当たりが良く、ちいさなベランダからはほんの少しだがエッフェル塔も見える。
「2人の朝はいつもこのキッチンで、朝食を取りながらゆっくりと過ごします。小さめのクロワッサンとパン・オ・ショコラ、フルーツジュース、そしてカフェオレ。清水焼はいくつか持っていて、いろんな使い方をしますが、特に朝は抹茶碗でカフェオレを呑むことが多いです。両手から伝わってくるぬくもりとほどよい重さが心地よく、午前中のゆったりとした時間によく合いますね。赤と黒の風合いの違うふたつの抹茶碗があって、私は黒い方、パスカルは赤い方がお気に入りです。」(オディール)
「使う楽しみがあるものというのは、それ自体とてもポエティックだと思います。清水焼は豪華さと繊細さの両方を兼ね備えていて、作った人のコンセプトや手作りしている様子などたくさんのことを想像させてくれます。」



京都で出会った自分だけの逸品
2014年、パスカルは2度目の日本を旅した。その際に立ち寄った京都で、一枚の竹を模した清水焼と出会った。胡竹と呼ばれる笛の素材となる竹を模したそのかたちは、竹の持つ靭やかさすら感じさせるユニークなデザインの角皿だ。
「見た瞬間に一目惚れしてしまいました。竹はパリやヨーロッパ各地にも沢山あり馴染みもありますが、このように陶器のモチーフになっているものは初めて見ました。思いがけない自分だけの逸品と旅先で出会うことは代えがたい喜びです。」(パスカル)
彼はその角皿と併せて、同じく竹を模した清水焼の急須と茶碗を買って、パリに持ち帰った。
「角皿は、週末のアペリティフの時などに、ブリニスにイクラやオリーブペーストを載せています。出会いも含めて特別感があるので、とりわけ大切に味わいたい時に好んで使っていますね。清水焼には本当にさまざまな種類があるけれど、どれも違った風情を持っていて、洋食器のセットとは違ってハーモニーを奏でることができるところが素晴らしい。もちろん洋食器と組み合わせても、楽しみが広がりますよ。」



言葉を超えて伝わる美しさ
京都の歴史と文化が生んだ京焼・清水焼が、こんなふうにパリで暮らすカップルの現代の日常に花を添えている。「清水焼の繊細な作りはとても発明的で、フランス人の美の感性に近い部分があるように思います。私たちにとってはセーブルにも共通するものを感じます。」(オディール)
ヨーロッパで京焼・清水焼が最初に紹介されたのは1870年頃だと言われているが、近年フランスに限らず、ヨーロッパでは再評価する機運が高まりつつある。
「特別な技法やテクスチャーを持った清水焼は、ヨーロッパの文化と実は相性がとても良いと思います。文化的教養のある人にはその良さがわかると思いますし、実際に器として使う上でもさまざまな大きさや種類があって取り入れやすい。そしてなにより、本当に美しいものは、言葉なしで通じるような、お互いに美を感じ合えるような力を持っていますから。」


オディール・モラン
1997年までフランスの航空会社に客室乗務員として勤務。その後シャネルに入社し、2007年に退社。趣味はモダンアートの収集、旅行、オペラ鑑賞。


パスカル・ルブュッフェ
2011年までエンジニアとして建築会社に勤務。退職後は一人暮らしの老人の財産管理のボランティアをしている。趣味はジョギング、 旅行、オペラ鑑賞。